インターネットがはびこる時代に有っても、そんなことお構いなしに山門の奥で、丁寧に詩を書く。
もちろん、丁寧に生きている。
屹然とした立ち姿を想像させる詩を書く。
茨木 のり子さんの詩は、どれを見ても「甘さ」は無い。が、「優しさ」は有る。
もう、何事にも「倚りかからず」なのだ。そんな必要がどこに有る?
そんな当たり前のことを忘れている私たちに、警鐘を鳴らすのが詩人なのかもしれない。
それも、静かにね。
誰を信じて、何を信じて生きていけばいいのか、迷った時に、この詩集を開くといい。
道は、そこに有るかもしれない。
茨木のり子の「椅りかからず」を読んだ。 その椅りかからずの一篇を読むことができただけで意味があった。 私の背に手を触れ、丸まった背筋をぐっと伸ばしてもらったような感覚。 自分を信じなくては しかし、力をこめず 気に入りの椅子に椅りかかるように 自分にふっともたれかかってみるといい そう、私には伝わった。
詩集をパラパラとめくる時、言葉の美しさに感じながらも、世代の差に気づいて身を引いてしまう。 褪めてしまう。 その感覚が起こらないことをどこかで願いながら読んだ。 それはとり越し苦労。 疎開、国歌、八木節 私と違う言葉があっても何も感じない。 取るに足らないこと。 それは押しつけないから 何も求めないから
そのあいまいな距離感がこの詩集の気に入っているところ。